愛善苑 月光分苑 わたしたちは、神素盞嗚大神を祀り、出口王仁三郎聖師の「霊界物語」を神教と奉ずるグループです。 「相教誨」をモットーに、改革の精神を忘れずに活動しています。 BACK TO HOME |
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出雲参拝記・スサノオゆかりの神社をたずねて 2001年(平成13年) |
アヌヴィバ主催・第8回国際会議「非暴力の未来にむけて」 平和に環境にやさしく、ともに生きるための現実的モデルを求めて ジャイプールにて 2014年1月5日から8日
スピーチ 草稿 目ア真弓 仮題 「非暴力の世界をめざして」 新たな価値観の共有を Preface
私は2007年、アヌビバの主催する国際会議に出席させていただき、2008年には友人奥原靖晴さんにスピーチを託しました。私はジャイナ教テーラパンタ派のみなさまが、非暴力について思索し、日常生活の中で実行していることを知り、異なる歴史や文化、そして生活環境のなかで懸命に非暴力の教えに生きるみなさまに敬意を感じています。今回第8回の会議に参加できることをありがたく感謝しています。
戦争は最悪の暴力, 最大の消耗 War is the worst violence that humans could do and war is the biggest economic loss
第7回の会議で、「アヌブラット運動と世界改造業者・出口王仁三郎の教え」と題したスピーチをお届けいたしました。その中で私は「戦争ほど凶悪で非暴力に反するものはない」と申し上げました。それは今も全く変わらない私の考えです。そしてこの考えは「出口王仁三郎聖師」の教えでもあります。 それから5年後の現在、この世界では、悲しくおそろしいニュースがたえません。 たとえばシリアの内戦では多くの人が殺され、いまだに収束の見通しがつきません。アメリカでのSeptember11以来、世界的にテロの不安がたえないのも事実です。 さて、日本では、2011年3月11の東日本大震災と津波からまもなく4年目を迎えます。しかし災害からの復興が難しく、福島原発では毎日放射能を排出しています。日本の国民は24時間、危険ととなりあわせです。食べ物や環境にも問題があります。この危険はもはや日本だけのことではなくなりました。汚染水は海に流れ出て、太平洋の海流に混ざっていきます。また大気中に排出された放射能も消えるわけではありません。終わりが見えないのです。しかし、日本政府は危険なニュースを知らせまいとコントロールしているため、ニュースはぐんと減りました。 福島原発は明らかに人災です。日本は地震の多い国なのです。それなのに政府と電気会社は「原発は安価で安全」とウソを言い続けてきたのです。ジャイナの皆さまは異常気象の原因も人類の行いが原因であるとおっしゃっていました。同様に「人の心と災害は密接な関係がある」と王仁三郎は書いています。地震や津波も異常気象のひとつだと思います。戦争は最悪で、自然災害も恐ろしいことです。そして「虚偽」は社会の敵です。「原発」は安全ではありません。現実的な非暴力の世界を実現するには克服すべき課題があると思います。未来の人類の平和を願って、私はあらたな価値観の共有を提案させていただきたいと思います。
ちなみに、出口王仁三郎は1872年に日本の京都府曽我部町穴太に生まれ、1948年にぼっしましたが、天皇を神とする、軍事国家であった答辞の日本において、平和的な手段によって、非暴力野平和な社会を建設するために戦い続けました。このため1935年12月8日に起こった第2次大本事件(政府よる宗教弾圧事件)から2435日に間、日本の権力により徹底的に弾圧され牢屋に監禁されました。
新しい価値観 New view points, one's sense of value
非暴力の実践にはげむ愛すべき多くの友人たち、また世界中の人びとがどのようにすれば、平和に幸せに生きられるのか、私は折々に考えます。 シンプルに言えば「政治がよりよく行われること」「経済システムが、人々の幸福に貢献する内容」であれば良いのです。 多くの人々が平和を願い、非暴力の生活を実践しても戦争がおこれば多くの命が吹き飛んでしまうのです。ですから、個人の努力と社会全体の改善という両輪が必要です。
持続可能な非暴力の世界へ進むための、新たな価値観とは「愛善」と「愛悪」の認識です。愛には二つの方向性があります。 「愛の善」は遠心的な方向性があり、自分自身も愛するが、他人や公共を愛する心です。「愛の悪」は求心的な方向で、限りなく自分自身のみを愛する心と行動です。この二つの価値観の違いを認識しましょう。 「愛の善」これを日本語で「愛善」と王仁三郎は教えています。他を思いやり、愛をもって行動することを意味します。自分自身をも守り、他人とともに幸福を求める行動です。反対に「愛の悪」とは自分の欲望を充たすための行動です。欲しければ他人のものを奪う。自分のためにはウソも平気で言う。これは自分自身をのみ愛する心なのです。これもやはり愛であるが「愛の悪」であると王仁三郎は教えています。 しかしながら人間が肉体を持って生きるには「愛の悪」も必要です。「愛善」を優先し人間がよりよく生きるためには理性と愛善を伴うバランス思考が重要です。
愛善の価値観で経済問題を見る How to see about economic collapse by "love of divine"
思うに「資本主義経済」はギャンブル化し正常に機能せず、共産主義もすでに古くなり、もはやどちらも人類の幸福には役立たないのです。既存の思想や価値観ではもはや改革はできません。多国籍資本は国境をこえた経済活動に奔走し、経済力による、姿の見えにくい、新たな帝国を成立させています。この多国籍資本による、力の支配は今後ますます貧富の差を拡大するでしょう。その結果、弱く貧しいものはさらに苦しまねばならない。これはあきらかに「資本による暴力」です。そこに「愛善」はありません。 現在の市場原理主義は間違った宗教とおなじです。金融市場においては資本の無限の価値増殖を求めてめまぐるしい速さでギャンブルが行われ、無関係の大多数の人々にそのツケを払わせています。たとえば株の短期売買です。もともと株式は企業を育て発展させるのが目的ですから、いったん買った株は持続して保有し、企業に対して意見や要望を出す。利益があれば還元されるというものです。企業も株主も互いに利益しあう関係が成立します。しかし実体経済と乖離したマネーゲームは麻薬的宗教のようなものです。世界的な経済破綻の原因となった、アメリカにおけるサブプライムローンの焦げ付きの実態を知れば、ここに存在する不実と虚偽のカラクリに誰もが気づくでしょう。甘い期待にだまされるのは一種の罪です。だましを行うのはもっと罪が深い。
非暴力の未来へ 新しい時代へ 人類は今、困難な状況にありますが、これは次のあらたな哲学とシステムを模索する苦しみの時代にある、と私は理解したいのです。王仁三郎聖師は「世界の大峠が来る」と予言し「人類の覚醒による大いなる改革がなければ、良い世界は到来しない。教えと歴史を学べ」と言っています。人間は自然から離れては生きることが出来ません。それは歴史が証明しています。食べることなく生きる人間はいません。ですから自然を尊び感謝し、食事はむさぼらず、菜食を中心にする。食料を戦略物資にすることなく、分け合って生きるシステムが欲しいと思います。
貧富の拡大、テロ、国際紛争の多極化などの現状から、皆さまが感じているように、「非暴力の世界」は実現にいたっていません。戦争は武器によるものだけではなく、お金の力による経済戦争も同じで、大きな暴力です。今や水や食料も戦略物資になってしまいました。何が「愛善」か、何が「愛悪」か、二つの価値観でもっとシンプルに世界を見て行きましょう。そして「愛善」の方向性を羅針盤にして未来の世界を非暴力へと導くことができるならば、私たちのコミュニケーションは実りあるものとすることが出来ます。世界中の人々が平和に幸福に生きられることが「神」の切なる願いである。と出口王仁三郎聖師は述べています。 2013/Dec. |
月光分苑とは 愛善苑改造綱案 <資料> |