出口王仁三郎とモーツアルト----共通する幼児性-----
大 説
「幼子(おさなご)のように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこにはいることはできない」とは、聖書の中のイエズス・キリストの言葉であります。そして王仁三郎も同じように、「生まれ赤子の心に立ち返れ…」と述べていたことはよく知られております。
この言葉は、我々も幼子のように清い無垢な心とならねば救いに与(あず)かることはできない、という意味であると一般的には理解されており、決して幼子のように幼稚な行動をとれ、ということではありません。
しかしながら、幼子の言動が幼稚なのは、無論知性がまだ未発達であるからなのですが、言い換えれば、いまだ人為的な知性に邪魔されておらず、その心が無垢なままであるがゆえの結果であるとも考えられるのではないでしょうか。*1
そうすると、心を清め、神的な知性を獲得して小賢しい人的な知性を超越した人の中には、どこかしら幼児的なところが認められるものであるとも言えるのではないでしょうか? 王仁三郎には、そうした幼児のような、悪く言えば馬鹿としか思えないような言動が数多くみられ、しばしば周囲をあきれさせていたことは有名であります。
刑務所内で自分の珍宝を玩具にして遊んだり*2、裸のまま平気で人前に出たり*3、ある満月の夜の奇行の話*4など、とにかく下ネタが大好きで、彼の生涯はそういったエピソードに満ちています(もちろん現実の生活は質実としており、こと神様に関しては非常に厳格であったわけですが)。
そういえば、古事記の中にも、スサノオノ命が天照大神の神殿に糞をひり散らして穢してしまったという話がありましたが*5、霊界物語の中でも、それが最高聖典であるにも拘わらず、「糞」や「屁」、「睾丸(きんたま)」などの実に多くの下品な単語や表現、くだらない駄洒落などが使用されているのであります。
そもそも、最初私が王仁三郎のことを知って関係書籍を色々と読んでいたときも、それらの書物から伝わってくる彼の霊性の高さ、教えの素晴らしさとは対照的に、その言動のしつこいほどの下品さに閉口してしまい、また、このような立派な教えをこんなにも品のない言葉で説いてしまったことが情けなく思え、とてもこういう人物にはついてはいけない、と正直思ったものでありました。
たぶん、同じような拒絶反応を感じてこの点でつまずいてしまわれ、せっかく王仁三郎の存在を知ったのに、既成宗教やニューエイジ、あるいは日月神示などの裏神業グループなんかの方に向かってしまわれた方も多いでしょう(万教は同根であり、決してそれらをすべて否定するつもりはありませんが、その中のあるものは害にしかなりません)。
おそらく古今東西の宗教家の中で、王仁三郎ほど下品な(やんちゃと言った方がいいかもしれませんが)人物はいないと思われるのであります。ただし、彼はその気になれば非常に格調の高い、洗練された文章を書く事もできたわけであり、わざわざ意図的に(あるいは単におもしろがって)それらの汚い言葉を多用していたとも考えられるのであります*6。
ここで私の頭に思い浮かぶのは、あの作曲家のモーツアルトのことです。皆さんご承知の通り、彼は人類史上に燦然と輝く名曲を数多く生み出した天才であったわけですが、一方では幼稚園児のように、スカトロ的な下品な話が大好きであったことはあまり知られていません。
彼の書いた詩や手紙からは、彼がいかに暖かいハートの持ち主であったかがわかると同時に、これまたしつこいほど「うんこ」などの汚い単語が繰り返し使用されているのであります。例えば、彼が22歳の時に書いた、従姉妹のマリア・アンナ・テクラ宛の手紙では、「誓って君の鼻の上にうんこをたれるぞ。そうすりゃ鼻の下までブランコだ。君のうんことおしっこはすんだ?さあ、お休み。ベッドで大きな音をたててうんこをしなさい。ぐっすりお休み。お尻に口をつけて。さようなら。」「ああ、僕のお尻が火のように燃えてきたぞ。こりゃなんだ!きっとうんこのお出ましだ。そうだそうだ、うんこだ。わかってるぞ。見てるし、嗅いでるし、それにこりゃなんだ。なんて長くて切ない音なんだ」などと書かれており、また彼の書いたある楽譜の余白は、「屁」、「チンポコ野郎」、「きんたまの干物」などの落書きで埋め尽くされていたといいます。
映画「アマデウス」では、モーツアルトがあまりにも下品な人物として描かれていたため、それを偉大な芸術家に対する侮辱であるとして文句を言う人もいたということでありましたが、実際の彼の下品さはあんなもんじゃなかったのであります。
さらに、彼の手がけたオペラについても、劇の内容はこれまた実に卑猥なものが多く、それがなぜか(天才であるから当然と言うべきか)、最終的には素晴らしい芸術作品として仕上がっていたのであります。
そして、彼のその音楽についてなのですが、実は近年、バッハやベートーベンなどの他の作曲家にはみられない驚くべき特徴が発見され*7、”癒し”の音楽として応用されて多大なる効果を発揮している、とも言われております(もっとも、聞き手の好みにも影響があるでしょうが)。以下はその点について述べた記事であります。
「モーツアルトは音楽家の父とやさしい母の間に命を授かり、胎児の時から音楽に囲まれて育ち、わずか三才半で作曲をはじめた。(トマティス)博士*8の言葉を借りれば、「汚染前の純粋な状態で音楽に触れた」。だから全曲にわたって狂ったハーモニーがひとつもない。
大きな特徴は、どの曲も同じ位置に拍が入ること。スペクトル分析をすると、モーツアルトの曲のスペクトル線の間隔は0.5秒。四拍子なので一拍は0.5秒となり、一小節は2秒、一分で120の拍となる。これはモーツアルトの心臓の拍であると同時に、子供の心臓そのもの、子供の神経組織に対応するリズムなのだ。
つまり、モーツアルトは作曲するときはいつも、まっさらな状態の子供の心と肉体に戻っていたのだ!…[中略]…肉体でいえば、モーツアルトの音楽には自律神経を覚醒させ、心臓のリズムを速め、呼吸を変化させるような神経学的インパルスがある。そこで博士はモーツアルトを「自律神経の巨匠、機能神経学の専門家、癒す力を持つ治療師」と呼ぶ。モーツアルトの曲を聞く人は誰でも、完全にモーツアルトの心臓になりきり、しいては子供の心臓に戻ってしまう。そしてこの効果は特に、子宮内音と同じ8000ヘルツにフィルターをかけたモーツアルトに顕著なのだそうだ。博士は著書の中で次のように述べている。「モーツアルトは、ただ自分の肉体のみを使って宇宙という本質につながっていた。彼はそれを音楽に変換した。モーツアルトのインスピレーションはモーツアルトのものでありながら、宇宙のインスピレーションそのものなのだ」。いいかえれば、「子供の生命エネルギーによって変換された宇宙のインスピレーション」こそが、人間の心と肉体をもっとも自然な形に導くということだろう。」(「パワースペース第21号(1995年7月発行、福昌堂)」掲載記事、『耳がすべてを変える』より引用)また、彼の手書きの楽譜には推敲のあとがまったくみられず*9、これは王仁三郎の霊界物語口述の状況を思い起こさせるものでもあります。
モーツアルトが王仁三郎と同じように神人合一の境地にまで達していたとは考えられませんが、それでも彼の音楽もまた、真に天界から降下されたものであったとみなすこともできるでしょう。彼は、天上の美を地上にもたらすことのできた、ほとんど預言者と言ってよいほどの人物であったようです。
最初に述べたように、こういった神的な世界と接触を持つ一方で、同時に我々の世界とも深く関り、双方の橋渡しとなれる人物の中には、その心が清らかで無垢であるがゆえに、周囲の者にはとても理解しがたい、一見すると下品としか思えないような言動を、何のためらいもなしに行なってしまう者もいるのであります。私には、彼ら二人がまさにそのような人物であったと思えるのです。*10。そして、それこそが彼らの精神性の高さを証明しているともいえるのではないでしょうか。
確かに、他の宗教家が彼らのようなスカトロ的な話を好んだという事実は伝わっていませんが、おそらくこれには環境的な要因が関わっていたと考えられます。そもそも仏陀は釈迦族の王子であり、解脱を達成した後も弟子達と共に隠遁を続け、あまり世俗と関係を持とうとはしませんでした。また、キリストやマホメットは砂漠の住民であり、共に農民ではありません。
それに対して王仁三郎はもともと百姓であり、糞尿を日常的に扱わねばならない上、それが肥料としてむしろ評価される環境にあり、モーツアルトは彼の母親がその手の話が大好きであったと言われますし、当時のヨーロッパは下水道が整備されていなかった為、どの都市も一歩家から外に出ると、路上は糞尿まみれであったと伝えられています。
また、もともと当時のヨーロッパ人にはあまり羞恥心というものがなく、ルイ14世などは、便器に座ったままで臣下に謁見したともいいます。こういったことが、彼ら二人の書いたものにだけ、しつこいほどひんぱんに糞尿の話がでてくる理由ではないかと私には考えられるのです*11。
そして、キリストやマホメットは、別にそのような汚い話はしていないにせよ、それでもやはり当時の人々からは不道徳なやからとして誤解され、非難されたことが知られています。*12 また、そういう糞尿にこだわる態度、嗜糞症ともいうべき症状についてですが、ハヴロック・エリス*13は、著書の中で、「ドイツのシュタイン調査では、二才半から四才までの幼児達のなんと80パーセント近くが、汗や糞の臭いを好むという結果がでておどろかされた」ということを紹介し、続けて「五才以上になると、糞臭を嫌うようになるが、それは主として親達が、糞臭は汚らしくて不快な臭いだと教え込むためではないかと思われる」と述べています。
つまり、人々が糞臭を嫌悪するのは、結局、後天的な学習の結果によるものにすぎない、といえるのであります。*14 要するにこういったことは、我々にはとてつもなく下品(下劣ではない)だと思えることではありますが、実はそれは偏見による錯覚に過ぎず、いかなる道徳的悪の性質をも持っていないばかりか、そうすることが自然のままの人間本来のあり方であるとも考えられ、我々の持つ偏見を打ち砕いて自然=万物との一体感を取り戻す為には、ひょっとすると、これらはむしろ好ましいことである、とさえも言えるのです。
しかし、だからといって誤解しないで頂きたいと思いますが、断じて私は、我々が日常生活の中でそのようなスカトロ的な話題や下品な行動を積極的に行なうべきであるなどと言っているわけではありません。
ただそういった話題をも、あからさまに拒絶するのではなく、幼児がそうであるように、無邪気な笑いをさそうものとして肯定的に解釈し受け入れることが我々の内面の豊かさに繋がっていき*15、さらに我々の内なる生命力を呼び起こす起動力*16ともなるのではないかと思うのであります。
王仁三郎もモーツアルトも、とにかく笑いを好み、幼児がそのまま大人になったような人物だったのです*17。そして、おそらくそのような幼児性こそが、彼らがきわだって優れた偉業を成し遂げることができた基盤となったのであり、神的な世界へ参入する条件、活力の根元でもあるのではないでしょうか。しかし、いくら頭では、幼子のようになるべきであると思っていても、プライドや世間体にこだわり、実際に自分がそうなることを拒絶するようでは、いかなる霊的な成長もありえません。
王仁三郎によれば、『霊界物語』は、子供から大人まですべての人がわかるよう、わざとおもしろおかしく卑近な言葉を用いて説かれてあるのだということですが、このことは、たとえ読み手が大人であっても、あえてこのような子供っぽい文章を読ませようとしているのだというふうにも解釈できないでしょうか? つまり、これは私の個人的な考えですが、霊界物語には、我々をいわば、”幼子(おさなご)化”する作用もあるのではないか、と思えるのであります。
主神の言霊であり、”霊魂の餌”でもある霊界物語を受け入れることで、我々の偏見に満ち、硬直し、世俗の欲望にまみれた状態の自我は、高貴なる俗語によって説かれた物語の、陽気で単純な馬鹿らしさ、おもしろさ、ストーリーの底に一貫して流れる神の慈愛の深さなどにショックを受け、物語を読めば読むほど自然に、徐々に解体され浄化されていき(立替え)、まるで幼子のように無垢な状態となってゆくのであります。
そして同じく俗語によって語られる膨大な量の知識、霊的な教え、神によって万物が救済されていくストーリーなどを意識の中に大量に注ぎ込まれて、それをもとに、自我は解体されつつも同時進行的に、物語の刺激によって目覚めさせられた直霊(ナオヒ:各人の意識の根元であり本質。純粋にして神聖なる霊魂)と一致・調和したかたちに再構成されてゆくのではないかと思えるのです(立直し)。
さらに、決して知性や内的な生命力等が損なわれることもなく、反ってそれらは増大し、かくして新しくされた自我は、より能動的、躍動的なものとなって正しく成長・発展して、次第に神的な次元へと拡大されてゆく(自我の宇宙的拡大)、のではないでしょうか。
そして、我々の日常生活の次元においては、基本宣伝歌にある、”直日に見直し聞き直し、身の過ちを宣り直す”ことを、知的にではなく直感的に、自然に、実行できるようにしてくれるのではないかと思えるのです。そう考えると、説かれている教えの崇高さとは矛盾するように思える、しつこいほど出てくる品のない言葉や馬鹿話、うんざりするほど繰り返される似たような表現や単純なストーリーについても、我々の”ミタマ”を立替え・立直すために、なぜそうでなければならなかったか、ちゃんと意味のあることであったと理解できるのであります*18。
更に、以上のことから、物語は要約されたあらすじだけを読んでわかったつもりになっても、それは錯覚に過ぎず、物語そのものの本文を拝読していかなければ、我々の霊性を目覚めさせ、成長させる効果はないと判断せざるを得ません。そして物語の中で、いくらくだらない、しょうもないと思える話が述べられていたとしても、実はそこにこそ重大な秘密が隠されているかもしれないのです*19。
「まことにアラー*20は、蚊、またはさらに小さいものをも、比喩にあげることを厭(いと)い給わぬ。信仰する者はそれが主からの真理であることを知る。だが信仰を拒む者は言う、「アラーは、この比喩でいったい何をお望みだろう?」と。彼(アラー)はこれにより多くの者を迷うにまかせ給い、また多くの者を(直き道に)導き給う。彼(アラー)は、主のおきてに背く者のほかは、(何人をも)迷わせ給わぬ。」『コーラン:雌牛の章、第3‐26』
*1 半世紀前のドイツの神秘家、ルドルフ・シュタイナーは、7歳ぐらいまでの幼児は、神的な世界とのつながりを有していると主張し、早期に知的教育を行なって、そのつながりを破壊してしまうことの危険性について述べている。
*2 同じく、刑務所の中での話であるが、王仁三郎は、裸電球を背にして壁に向かって立ち、尻をまくって自分の珍宝やきんたまの影を壁に映し、揺らして遊び、それがおもしろくておもしろくて、キャアキャア言って喜んでいたという。
*3 出口和明先生の回想によると、真夏のうだるような暑さのときなど素っ裸で仰臥し、天上から紐でぶらさげた洗濯挟みに脱脂綿をあてて睾丸をはさんでもちあげ、うちわで煽がせたりしたという。
*4 ある信者が満月の夜、王仁三郎の奇妙な行動を目撃した。外で四つんばいとなり、地面に両手をぺたぺたと付きながら、尻をまくって、さかんに腰を空に向かって突き上げている。何をしているのか尋ねると、王仁三郎は、「尻の穴はいつも汚いものばかり見てかわいそうや。たまにはきれいなお月様でも見せてやろうと思うてなあ」と答えたのであった。
*5 このような、スサノオの持つ幼児性、トリック・スターとしての性格については、多くの研究者によって指摘されており、実に興味深い。また王仁三郎は、膨大な数の書画、詩歌、耀腕などを創り出した芸術家でもあったが、彼によれば、スサノオは芸術の祖神でもあるという。
*6-1王仁三郎の言語感覚が、いかに卓越したものであったかは、安本美典著『説得の文章術』(宝島社新書)の中で、例をあげて説明されている。
*6-2王仁三郎自身、霊界物語が人々の批判の対象となってしまうことは事前に予期しており、刊行が始まってからも多くの反対があったことが、物語のここかしこで述べられている(第13巻モノログ、20、46、54巻の総説など)
*6-3『神曲』を著わしたダンテは、その著『俗語論』の中で、日常の俗なる言葉である、いわゆる俗語(口語)こそは、人類がはじめて用いた言葉であり、発音や語彙は異なるが全世界で用いられており、グラマティカ(文語)が人為的に作られたものであるのに対して自然本来なものであるとして、俗語の方を、学術的・美的な言葉とされていた文語(ラテン語)よりも高貴であるとした。人間は生まれながらにして文語を話すわけではなく、結局それは二次的な言葉にすぎない。俗語こそは、我々が育つ過程で親から直接受けとったものであり、多様性、流動性を有する生きた言葉なのである。
*7 トマティス博士(後述)によると、世界中何処へ行っても、どんな民族にも受け入れられるのは、なぜかモーツアルトの音楽だけであり、ベートーヴェンでもブラームスでもバッハでもなく、他のすべての作曲家のものでもなく、さらに各地域の民族音楽、現代音楽、騒音まで研究したが、どれも心と体への効果という点で、モーツアルトには及ばなかったという。彼の音楽は、あらゆる情報の母体をなす、いわば「基本コード」のようなものであり、博士はそれを科学的に分析し、聴覚・声の障害の治療に応用し、多大な効果をあげている。(詳しくは博士の著書を参照されたい)
*8 アルフレッド・トマティス博士。1920年ニースに生まれる。パリ大学医学部卒業。医学博士。耳鼻咽喉科および音声医学を専門とする。聴覚心理音声学国際協会会長。パリ・カトリック協会学院臨床心理学校心理言語学教授。聴力トレーニング法、トマティス・メソッドの創始者。オペラ歌手のマリア・カラス、俳優ジュラール・ドパルデューの聴力障害を治療し、完治させたことで知られる。
*9 次のようなモーツアルトの手紙が残っている。『…構想はあたかも奔流のように、実に鮮やかに心の中に姿を現します。しかし、それがどこから来るのか、どうして現れるのか私にはわからないし、私としても一指も触れることはできません。…後から後からいろいろな構想は、対位法やさまざまな楽器の音色にしたがって私に迫ってくる。ちょうどパイを作るのに、必要なだけのかけらがいるようなものです。こうしてできあがったものは、邪魔のはいらぬ限り私の魂を興奮させる。すると、それはますます大きなものになり、私はそれをいよいよ広くはっきりと展開させる。そして、それは、たとえどんなに長いものであろうとも、私の頭の中で実際にほとんど完成される。私は、ちょうど美しいあるいは麗しい一幅の絵でも見るように、心の内で、一目でそれを見渡します。後になれば、むろん次々に順を追って現れるものですが、想像の中では、そういう具合に現れず、まるですべてのものが皆いっしょになって聞こえるのです…[中略]…いったん、こうしてできあがってしまうと、もう私は容易に忘れません、ということこそ神様が私に賜った最上の才能でしょう。だから、後で書く段になれば、脳髄という袋の中から、今申し上げたようにして蒐集したものを取り出してくるだけです。周囲で何事が起ころうとも私はかまわず書けますし、鶏の話、家鴨の話、あるいはかれこれ人の噂などして興ずることも、できます。』
*10 もちろん異様な行動をとる連中のほとんどは、その精紳に異常をきたしているか、単に下品なだけの者である。いかなることについても、”識別”ということが重要である。
*11 付け加えておきたいが、私は、決して彼らが、心理学的に肛門性愛の段階にとどまり続け、精神的に成長できなかったなどと言うつもりはありません。むしろ健全な成長を遂げたが、幼児期の性質をも残していたと考えるべきでしょう。成人となってからの性的な行為において、スカトロ的なまねをするのは単なる変態であります。
*12 キリストは誰とでも分け隔てなく付き合い、むしろ社会的弱者、罪人とみなされていた連中の中へ自ら入り、食事を共にしたため、パリサイ人から、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ。」と罵られ、またマホメットは、多くの妻を娶ったため、「結婚ばかりしている色きちがい」と非難されたという。
*13 1859〜1939年。ロンドン生まれ。セント・トーマス病院付属の医学校で医学を修め、性を多角的にとらえた先駆者として知られる。性を人生の中心的な問題として提起した。著書多数。
*14 ドリアンやクサヤなど、人気のある食品の中には、ほとんど糞臭と同じにおいを発するものもある。糞臭の主要成分であるスカトールは、ジャスミンティーの香りに含まれる成分でもあるという。しかし、だからといって、糞便はジャスミンのようによい香りがすると主張する者がいたら、彼は変態である。
*15 「内分の道は、愛の善と信の真とが大神より直接に入りくる道である(『霊界物語』第47巻)」
*16 笑いによって、免疫力が高まることは医学的に実証されている。王仁三郎は、”ウーピー”という言葉を好み多用した。「大本がウーピーの宗教として楽天主義をとうとぶのは人の精神力を旺盛にせんためである」と語り、次のような歌を残している。
エログロの流行言葉もかび生えて今はウーピーの全盛時代
天国もこの地の上に築かれて吾がつちかえるウーピーの花園
エログロの歌よみあきぬいざさらば我はウーピーの神を歌わん
ちなみに、”ウーピー”とは、かっての米国の流行語で、愉快なこと、歓楽の源、笑いの種のことであり、そして、なにか愉快な事をやろうというときは、当時の米国人は、LET'S MAKE WHOOPEE!と呼びかけたそうである。
*17-1かといって、いつも彼らが脳天気に笑ってばかりいたわけではない。スタンダールのように、モーツアルトの本質を”かなしさ”にあるとする人物もいるのである。また、”笑い”については、『霊界物語』第46巻に、次のような文章がある。「笑いは天国を開く声である。福音である。しかし笑いは厳粛を破るもののようだが、その笑いが徹底すると、また涙がでるものだ。笑い泣きの涙が、もっとも高調された悲哀と接吻するような感じがするものだ。しかし法悦の涙と落胆悲痛の涙とは、天地霄壤の差あるは勿論である。読者は本書を読んで充分に笑いかつ泣き、法悦の天界に遊ばれんことを希望いたします。人間の笑う時と泣く時と、顔面の筋肉が同じように作用することを思ふと、善悪、歓苦、笑哭不二の真理が怪しく光ってくるやうです」
*17-2キリストについて、彼が笑ったという記述は聖書にはない。しかし、王仁三郎によると、彼は”ユダヤのおもしろ男”であったということであり、また、アメリカの透視能力者、エドガー・ケイシーは、「イエスはユーモアのセンスをも持っていた」と語っている。
*18-1 フランスの精紳分析学者で構造主義の代表者とされるジャック・ラカンは、無意識は言葉の条件ではなく、「言葉こそが無意識の条件であり、言葉が無意識を作りだすのだ」と断言している。またドイツの哲学者M・シェーラーは「動物には羞恥心がなく、また”羞恥する神”を思い浮かべることはまったくの背理であろう」と述べ、羞恥には自然的根拠などないことを指摘している。
*18-2 「自我とは言葉の産物であり、非実体であり、それだけにそのアイデンティティはまことに不安定である。人間は、表層意識においてこそ、この自我の同一性を必死にまもろうとするものの、意識の深層においては、絶えずノモス(制度化されたもの)的自我を崩壊させ、エス(人格の欲動的な極)の領域を新たに取り込みながら自我を拡大しようとする相反するベクトルのもとに生きている。だからこそ、既成の自我の崩壊は強い羞恥の感情を伴なうとともに、大きな快感、特にエロティシズムを覚えさせるのではなかったか。……」(丸山圭三郎著『言葉と無意識』より引用)
*18-3単純な事を喜び、飽きが来るまで延々と同じ事を繰り返しおもしろがるのも幼児の特徴であり、次のような研究報告がある。「1966年、生後二週間以上の乳児の研究をしていたT・G・R・バウアーは、充分おもしろい報酬さえ与えれば、乳児たちが視覚テストに応答することを見出した。赤ん坊達が正しい応答をした時には、女性の助手による”いないいないばあ”が報酬として与えられた。バウアーは、『二週間から二十週間の赤ん坊達はこのできごとにとても興味を持つらしく、”いないいないばあ”をやってもらおうと、一度に20分間も応答する。生後二週間しかたっていない赤ん坊でさえも、なんの疲れもみせずに四百回もそういった応答をすることができる』と報告している。(バウアー著『幼児の視覚的世界』)」
*18-4 「霊界物語は阿呆陀羅に長い物語で、実に平凡で読むにたへないといつてゐる人士がたまにあるやうだ。しかし瑞月は、元より真理なるものは平凡だと思ふ。だから、たとへこの物語が平凡であるとしても、世人が誰もまだ気のつゐていないやうな事柄ならば、千言万語を連ねてもこれを説くの必要があらうと思ふ。なにほどシカツメらしい文章や言葉でも、今日までに世間に知れわたつたことを著述したり、論説するのならば、決して堂々たる学者の態度とは思はれない。要は陳腐常套語である。……」(『霊界物語』第53巻総説)
*18-5 「聖言に曰ふ『神は最も弱き者、小さき者、および愚かなるものに真理を覚し玉ふ』とあり。大本神諭に曰く『生れ赤児の混りのない心にならねば神の誠の大精神は判らぬぞよ』と示されあり。仏教には『難問するところあれば、小乗の法を以て答えざれ、ただし大乗を以て、為に解脱して一切種智を得せしめよ、云々』『菩薩は常に安穏ならしめむことを楽ひて法を説け、云々』とあり。大乗に非ざれば覚り得ざるごとき学盲者は、ただその種智を得るに過ぎない。決して天国の愛と善、信と真との光明霊徳に浴する事は出来ないものである。安穏にして法を説け、とは老幼婦女子にも解し易きやう極めて卑近の例を引き、平易簡単にして、直ちにその精神を諒解し得らるるやうに説けとの意である。この物語もまた神示に従ひなるべく平易なる文句にて説き、卑近なる言語を使用して神明の深き大御心を悟らしめむと努めたるをもつて、学者紳士の読物としては適当しないものたるは素より覚悟の前である。一人なりとも多数の人びとに解し易く、徹底し易からしめむと欲する至情より口述せしものであります。また本物語の読者を決して今日のいはゆる知識階級に求めやうとするのではありませぬ。愚者無学者弱者のため編著したものであります。」(『霊界物語』第58巻総説)
*19 王仁三郎自身がこう語っている。「物語は唯読んでいてもいかぬ。何でもないようなことの中にでも大事なことが書いてある。大事なことは馬や鹿や、あんな下の者が言っていることが多いのや」(昭和19年3月25日)
また、大国美都雄氏は王仁三郎から次のように言われたとことがあるという。「……ただ文字つらだけを読み取るだけではいけない。そこに込められている”想念”を想像して何が表現されているかを考えていく必要がある。…。」「……何の誰々とかいうことはどうでもよいから、そこに流れている一貫した筋だけをつかみとってくれ。それが霊界物語を理解する一番の早道だ」さらに、「上品なところから下品なところまで一切を網羅してあるのが霊界物語だ。お前の心身にしてもそうだろう。非常に高貴な面もあれば下劣な面もあるが、すべてが寄り合ってお前の人格となっているじゃろ。それと同じように考えて読めば、立派な神書だということが理解できるはずだ。」
また、霊界物語が何故かくも長たらしく、くだらないとしか思えない馬鹿話に満ちているのか、またなぜ単にあらすじや解説書を読むだけではだめで、物語の本文を読まなくてはならないのだという考えに私が到ったのかは、ここに述べてる以外にも理由があるのですが、それについてはまたの機会に書きたいと思います。
*20 ”アラー”とは、アラビヤ語で”唯一なる神”という意味であり、固有名詞ではない。よく”アラーの神”という言い方がされるが、これは文法的にも誤りである。
【付】モーツアルト讃作曲家のハイドンは、モーツアルトよりも年長であったにもかかわらず、彼の偉大さを認め、「私の音楽とモーツアルトの音楽の間に、なんら比較に耐えるものはない」とまで述べ、また、グスタフ・マーラーの臨終時の最後の言葉は、「モーツアルト、モーツアルト……」であったといいます。他の音楽家や作家たちにとって、彼がいかに特別な存在であったか、御参考までに引用しておきます。私には、モーツアルトがされているのと同じような評価が、決して音楽家ではないにせよ、王仁三郎の場合にも当てはまるのではないかと思えるのです。
「美は、感じとれるものでなくてはならない。ただちに喜びをもたらし、我々が捕まえようと苦労しなくても、我々の内にしみとおってくるものでなければならない。レオナルド・ダ・ビンチを見よ。モーツアルトを見よ。あれこそ偉大な芸術家だ。」(クロード・ドビッシー)
「いかなる芸術史にもみられない天才中の天才であり、感動的な存在である。」(リヒャルト・ワーグナー)
「ベートーベンが曖昧で、統一を欠いているように思われるのは、よく賞賛されるように、野生的な独創性があったからではない。むしろ、ベートーベンが永遠の原理に背を向けていたからだ。モーツアルトは、決してそんなことはしなかった。曲の各部分が自分の流れを持っていて、他の部分と調和しながら一つの歌を形づくり、その歌に従っていく。そこには、プント・コントラ・プント、対位法がある。」(ショパン)
「モーツアルトの喜びは、持続する喜びである。シューマンの喜びは熱狂的で、すすり泣きの間に喜んでいる感じだ。モーツアルトの喜びは静謐からなっている。その音楽は瞑想のようだ。その単純さは、純粋さの表われでしかない。水晶のように澄んでいる。あらゆる感情が表現されるが、天上の響きに移しかえられている。、<節度とは、天使達のように感動することである…ジュベール>モーツアルトを理解するには、この言葉をかみしめなければならない。モーツアルトは、現代が一番遠ざけてしまった音楽家だ。モーツアルトは婉曲にしか言わないのに、聴衆は叫びしか聴かない。」(アンドレ・ジイド)
「数多くのモーツアルトの才能の内でも、もっとも稀有のものは、人間の声のために作曲するその超人的な能力である。幸いにも彼の音楽にふさわしい台本を得ることがができた場合には、人間文明のふたつの勝利ともいうべき<フィガロの結婚>と<ドン・ジョバンニ>といった傑作が生まれてきた。「コシ・ファン・トッテ」や「魔笛」のように、台本に恵まれなかった場合でも、モーツアルトの音楽は言葉を超越して、ほかの音楽家がほとんどよじ登ることさえできないほどの高みへと到達したのである。」(ドナルド・キーン)
「今、私は協奏交響曲を聴いて涙をこぼす。ドイツ人はモーツアルトを演奏したが、鬘(カツラ)を被せていた。ラテン系の国では、モーツアルトは軽視されていた。イタリア人は、口をとがらし、あれは退屈だと言っていた。スペインでは名前さえ知られていなかった。フランスだけが、モーツアルトに対する真の信仰を捧げていた。私たちは、ティボーやカザルスとともに、夜を徹して、モーツアルトを弾いたものだ。それは私たちの感謝の印だった。」(アルトゥール・ルービンシュタイン)
「天使たちが、神を讃美しようとして、バッハの音楽を奏するかどうか、これは確信はもてない。……けれども、彼らが相集った時、モーツアルトを奏し、そのとき神様もまた、その楽の音をことのほかよろこんで傾聴なさることは、確かだ。」(カール・バルト、プロテスタント神学者)
「(好きな作曲家は?という問いに、)モーツアルトです。モーツアルトって、一番天才ていうか、人間の体を使って神様が作ったのではないかと。普通の人間にできるとは、僕には思えないですねえ。耳の構造とか発想が。音のいちばん原点に戻って、そこから作ってる。これ、教わったわけじゃないと思うんですね。(自然にさーっと、)でたんじゃないか。バッハもそうですよね。でもモーツアルトの方が鋭い。ポーンと。バッハはじわじわ出てきた感じ。ベートーベンは精神的な積み上げですね。……」(小澤征爾)
「モーツアルトは(自分の地獄を無視することなく)結局喜びの世界へと向かい、自らを救ったのだ。これを完全に理解しないものは、モーツアルトを結晶体と見誤るだろう。」(ルノアール)
【参考文献】『出口王仁三郎著作集』(読売新聞社)、『いづとみづ』バックナンバー、『モーツアルトを科学する』(アルフレッド・トマティス著・日本実業出版社)、『モーツアルト療法』(篠原佳年−松澤正博共著・マガジンハウス)、『モーツアルト−神に愛されしもの』(ミシェル・パルティ著・創元社)、『右脳天才モーツアルト』(藤井康夫著・同文書院)、『私の好きなレコード』(ドナルド・キーン著・中公文庫)、『言語からみた民族と国家』(田中克彦著・岩波書店)、『帝王から音楽マフィアまで』(石井宏著・新潮社)、『モーツアルトで一日が始まり一日が終わる』(高橋英郎・講談社α文庫)、『トイレで笑える雑学の本』プランニングOM編・講談社α文庫)、『ヘンタイの哲学』(キム=ミョンガン著・芸文社)、『オニサブロー、ウーピーの生涯』(十和田龍=出口和明著・新評論)、『新月のかけ』(木庭次守編・日本タニハ文化研究所)、『三鏡‐出口王仁三郎聖言集』(八幡書店)、『マジカルチャイルド育児法』(ジョセフ・チルトン・ピアス著・日本教文社)、『言葉と無意識』(丸山圭三郎著、講談社現代新書)、『性をめぐる基礎知識』(自由国民社)、『聖クラーン』(日訳クラーン刊行会・世界ムスリム連盟)。
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