愛善苑 月光分苑 わたしたちは、神素盞嗚大神を祀り、出口王仁三郎聖師の「霊界物語」を神教と奉ずるグループです。 「相教誨」をモットーに、改革の精神を忘れずに活動しています。 BACK TO HOME |
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出雲参拝記・スサノオゆかりの神社をたずねて 2001年(平成13年) |
科学は万能か 2006年12月28日 インド・ジャイプール・IOU円卓会議にて 愛善苑月光分苑・目崎真弓 私たちは会議の主催者より、この会議において「精神性と科学」Spirituality and Scienceというテーマを与えられています。今日私は、出口王仁三郎の教えを学び実践している者の一人として与えられたテーマに沿って考えを述べたいと思います。 私の題名は「科学は万能か?」 Is the science universal? です。 科学は万能か? 出口王仁三郎はこの地球上、すなわち目に見える世界のみならず、現・現実の世界 幽・目には見えないが実在する霊妙な世界 神・神々の世界 それらすべての世界を立替立直し、この地上を天国に導くという目的使命を実現するために一生を捧げ、またその目的達成に必要な「教え」を直接口述し、記録者に記させました。 さらにその筆記を自身で校正し人類のために残したのです。 それは大部分が物語でありさまざまな人が活動し、語り、考えるスタイルで組み立て られ、大人も子どもも理解し得る易しい親しみやすい言葉や表現が使われています。な ぜならば最も大切なことは「誰もが理解しうる」ものでなければならないからです。 彼はその物語(霊界物語)の中で3つの価値観を提起しています。 ひとつは「霊主体従」それは心すなわち目に見えない霊妙な世界を主とする価値観です。 ひとつは「体主霊従」それは物質世界を基本とし心や精神世界を従とする価値観です。 ひとつは「力主体霊」それは力の強い存在が常に優先し、次に物質を尊重し心はその次に従わせる力優先の価値観です。これは人間というより自然界における獣たちの世界と同じです。 さて科学はこの3つのうちのどれに属するでしょうか? それは「体主霊従」の価値観に属するといえるでしょう。科学は物質的世界を基として出発した学問の分野です。もちろん物質界の研究が進み人類に貢献してきたことは誰もが認めます。しかし私は「科学は万能か?」と問わなければなりません。 科学技術の発達は人類にとって幸福をもたらしただけではありません。私たち日本人は第2次大戦の末期に、広島、長崎を経験し、それによっていまだに多くの被曝者が苦しんでいます。 核の問題から言えば、人類はとほうもなく恐ろしい道具を手に入れたのです。これが人を殺戮するために使われる時、人間の悪魔的精神に恐ろしい道具が使われることになります。その結果人類は自ら破滅に向かわねばなりません。 公害やゆきすぎた経済活動による自然破壊、グローバリゼイションによる貧富の格差、その他いろいろな問題がありますが、人類の幸福な存続をおびやかす多くの問題や不幸は、いまだ不熟の(未熟の)科学と人間の心(精神性・霊性)のアンバランスな関係が原因だと私は考察します。 たとえて言えば ここに料理をするために必要な包丁があります。私は毎日家族や友人、お客様のためにこれを使って料理を作りますが、人の命に寄与する包丁は文化的な道具で、生活に欠かせません。 ところが(しかし)もし私がこの包丁で人を殺そうと思ったその瞬間に包丁は凶器に変わってしまうのです。 ですから私は学問としての科学も科学技術もひとつの包丁と同じことだと思います。 まだまだ未発達な科学技術が人類の安全、平和や幸福を脅かしている今、人類にとってもっとも必要なことは、正しい信仰を持つことである、といえます。 未熟な科学をのみ信頼する人々、いのちの大切さを忘れ経済的にあるいは武力をもって戦争を続ける力をもった人びと、それらの人たちが人類の未来を左右しコントロールしていることが残念ながら地球上の現実なのです。 精神性・spirituality を失った科学は人類を不幸にする、と私は思います。また精神性は単に人の理性だけで深まるものではありません。神の実在を知り、霊妙な世界に目覚め敬虔な心を持たなければなりません。そうでなければ人は他への尊敬、生命の尊重、反省心などの大切な人間としての精神性を深めることはできません。 私は人間の智恵と英知は不幸なさまざまな問題を少しづつ解決していくであろう、という希望を持っています。その根拠は出口王仁三郎の「霊界物語」にあります。 その部分を皆様に紹介したいと思います。ところで、みなさんに取り分けて申し上げますことは、このインスピレーションにみちた物語を荒唐無稽なものとすればつまらないものですが、そこに秘められたメッセージを読み取り、未来へのヒントを得る人には偉大な霊感の宝箱であるということです。1989年・平成元年12月以来この霊界物語の封印が解かれておりますので、いまこの物語から学識者のみなさまが何らかのヒントを見つけられるのではないかと期待しています。 霊界物語15巻 4篇 神行霊歩 19章 第一天国 あらすじ 宣伝使、言依別命は玉彦、厳彦、楠彦の三人を連れてフサの国ウブスナ山脈に主の神、神スサノオの大神の宮殿へと旅をしている。スサノオの神は人類のすべての罪を背負い放浪しつつあったが高天原を出発し日本海をわたり、韓国、中国、チベット、インドを通り過ぎてイランに至りウブスナ山脈に宮殿を築いて人類のみならずすべてを救うための不断の活動を続けていた。ところが言依別は従者とともにイランのカジカ峠で谷に転落し仮死状態となって魂は天国へ旅行することになる。 夢とも現実ともわからず中空を五色の雲に包まれて東へと飛び、ある高山のふもとの美しい川のほとりに下ろされた。 言依別と3人の従者の魂は周囲の風景が美しく現実界との違いから、天国にきていることをさとって話し合っている。 楠彦「たしかに天国に間違ひありませぬ。カリョウビンガの数限りもなく、アレあのとおりに舞ひ狂う有様、付記来る風は微妙の音楽を奏し、空気はなんとなく芳しく梅花の香りを交へ、見るもの聞くもの一として快感を与えないものはございませぬ。・・・・・もしもし言依別命様、ご案じなさいますな、あなたの真心を大神は御見抜き遊ばして、かかる天国に導き下さったのでせう」 と語るおりしも、天空を轟かして一道の光明とともに、天の磐船に乗りてこの場に下り来る神人あり。天の磐船は静かに一行が前に舞ひ下りぬ。金銀珠玉。瑠璃、しゃこ、瑪瑙、真珠、珊瑚等をもって飾られた立派なる御船なりき。翼を見れば絹でもなければ、毛でもない、一種異様な柔らかき、且つ強き織物にて造られてあり。手を伸べてこの翼をスウツと撫でる刹那に、えもいわれぬ美妙の音響が発するなり。玉彦は右左に翼に張りつめたる織物を撫でまわせば、精巧なる蓄音機の円板のごとく、種々の美はしき音響聞こえくる。このとき磐船の中より現れ出でたる8人の童子、頭髪は赤く長く、肩のあたりに小さき翼あり、歯はヌレカラスのごとく黒く染め、紅の唇、緑したたるまなざし、桃色の頬に無限の笑みをたたえながら、5,6歳とおぼしき童子、言依別命の前に現れ来たり、細く涼しき声にて、 「貴下は瑞霊の分霊、常世の国に生れましし言依別命にましまさずや、吾は高天原より大神の命を奉じ、お迎えに来たりし者、サ、サ、早くこの船にめさせたまへ」 後略 文中、この飛行物体を船と述べており、私はその状況に注目しました。天国を語り次の20章では50世紀と名づけて未来の状況を語っています。科学は人にやさしく楽しく快適である環境や道具を開発する方向へいくことを示しているようです。これによれば、天国はもちろん、50世紀の未来は殺しあう世界ではありません。 では50世紀は何がどのように描かれているのでしょう。時間がありませんので興味のあるかたは添付の霊界物語の一部を読んで下さい。 ありがとうございました。 IOU円卓会議 international open university 国際公開大学 オランダのハケムルダー教授・IOU とベーダ研究学校のコタリ博士の共同開催。スポンサーはラジャスタンパトリカ新聞社 会場はジャイプール市内、ホテル・ジャイプール・パレスにて (ご報告) イタリアでのいけばな活動のために11/12から一ヶ月間、日本を留守にしておりました。長くまたスケジュールに追われた一ヶ月でした。 愛善苑の機関誌での聖師様の教典改竄問題などありうべからざる事件・すなわちハシの転倒た(こけた)状況をなんとか改革していきたいと願って出発直前まで文章の作成に協力などをしておりましたが、イタリアで聞いた総代会の顛末には「そうだろうなー」という思いでした。 なぜならば団体や国、世界はそこにいる人々の願いや意識、心がけの向上によってしか改革し得ないからです。一部の者が声をあげてもみんなの意識と行動がともなってこなければ良くなるものではないからです。 愛善苑において、正しい聖師さまのおことばそのものを純に受け取れる教えの研鑽が保証されること、実践が伴っていること、それによって信仰を高め深めていく行為が求められるのです。それは祈りとともにある日常生活において現実となるだろうし、けっして目には見えないけれども改革していくに必要な条件であり力です。それが霊界物語のほんとうの底力であるはずです。 81巻の最後は王も臣下も心のうちからまことの神をいつき祀ることがもっとも重要であることに気づいて反省と真の神への祈りに徹していくところで終わっています。そこへいたるまでの道程のたいへんなこと。 さて私たちみんなの、愛善苑の改革は物語のまことの力による以外はないと思います。改竄記事などは批判するだけしたら、あとは物語の研鑽に励まねばなりません。私の思いです。その上で改革の案や方途をさぐっていけばよいと考えています。 そして「悪の鏡は万劫末代出口家にさせて見せる」ということも聞いていますが、善悪の鑑を肝に命じて実際を見極めることも反面教師として必要なのかもしれません。こんなことがあるのも聖師さまの信者であるはずの会員たちの意識と研鑽への怠慢があるからなのではないでしょうか。 さて12/24からインドへまいります。ジャイプールのコタリ家で年末に2つの結婚式があり、そのために世界各地から招待客が参集されるとのことで、学識者が多いことからIOUの円卓会議が同時に開催され、会議へも招待を受けています。これに私、目崎真弓は別紙の内容にて英語でスピーチさせていただく予定です。 あまりの多忙のため、イタリアに入ってから原稿を書き、アメリカ在住の奥原康晴さんに英訳のお手伝いをいただきました。このようにいろいろな人に支えられ、インターネット時代の恩恵のもとに、聖師様のみ教えを世界の学識者の前でスピーチさせていただけることをありがたく感謝しております。教えの愛善苑にふさわしいように皆さんとともに研鑽したいと願っております。端折ってしまったところもありますが持ち時間は多くありませんのでこのようになりました。ご一読いただければ幸いです。 |
月光分苑とは 愛善苑改造綱案 <資料> |