第六回イタリア沖道国際交流会と愛善苑海外宣伝の旅
月光分苑 目崎真弓
二〇〇一年十月五日記
六度目のイタリアへ
平成十一年七月、出口和明先生ご夫妻のお供をさせていただいた国際交流会から早くも二年が過ぎた。この二年を振り返ってみると多忙で濃密な時間の連続だった。物語の扉があいたのか、何か大きな力に動かされるような感じだ。数えてみるとこの二年間イタリアへは四回、インドへ二回、カンボジアへ一回、つい先月ミャンマーへ教育支援のフィールドワークに出かけ帰ってきたばかりである。ミャンマーのオッカン小学校の新校舎には来年、二〇〇二年二月、沖道のマークとともに十曜の神紋が見られるはずである。
今年の七月の国際交流会について八尋雄二さん(イタリア沖道会長)から連絡をいただいたのは期日も迫った六月であった。イタリアでは研修活動や、奉仕活動(ヒューマンライフプロジェクト)などが活発に行われていて、スタッフのみなさんは多忙をきわめている。そんな状況でも交流会をするという。しかも新しいイベントスタイルにトライするのだと書いてあった。
開催日時は七月十六日から二十二日までの間、ミラノ、あローマでそれぞれ三日間開催する予定とのことである。
開催も近づいてから会場の知らせが届いた。
ミラノではミラノ郊外、アッダ川のほとりの町にある由緒あるヴィラ・ボッロメオを借りきって、ローマでは市の中心部コロッセオに近い国立ダンス・芸術アカデミーを借りることができ、ローマ市の協賛も得られたとの明るいニュースだった。
イタリアからの特筆すべき提案は、私たちが参加するなら「愛善苑紹介コーナー」を各会場に設け、愛善苑の宣伝や紹介をさせてくださる、という驚くべきものであった。
イタリア沖道の国際交流会で、ゲスト講師として十年間がんばられ、イタリアのみなさんに慕われておられる出口和明先生(イタリアではトワダ先生で通っている)は大動脈瘤の手術後のため、今年は海外宣教ができない。なので、そのかわりに愛善苑の紹介をさせてやろうという、破格のご好意と手前勝手に理解した。なぜならば、イベントの開催には多額の費用が必要だ。その必要経費も請求せず、愛善苑のため会場を提供してくださり、人手の面でもお手伝いしてくださる。というのだから、提案に応えるのがこちらの誠意と感謝の証でもある。このようなことは別団体との関係では普通考えにくく、ほとんどありえないケースではないだろうか。
イタリア沖道との交流は、はや十二年にもなるが、ただ年月を重ねただけではない。試行錯誤、ときには失敗もあっただろう。だが互いの信頼感、好意の(愛善の)積み重ねがあったことを思わずにはいられない。そうでなければ、仮に会長の雄二さんひとりが提案してもスタッフの同意を得られないにちがいない。
もちろん出口和明先生にはイタリアからニュースが入るたびにお伝えさせていただいた。
私にとって、たびたびの海外への旅はかなり厳しい状況ではあるけれど、ともかくご好意に応えたい。そして堂々と「出口王仁三郎聖師」のお写真などを展示することができる「海外宣伝」はぜひともさせていただきたいことである。それに「紹介コーナー」では一人でも余計に愛善苑関係者の参加が欲しい。
それで、昨年インド宣教に同行された役員の森田直行さんに仲介いただき、イタリアからのニュースを責任役員会へ逐一ご報告させていただいた。できれば愛善苑全体からの出張者を派遣していただきたいともお伝えしたが、今回は展示用写真や神旗の貸出しと言う形の協力であった。
いつものことだが、イタリアからの連絡は間際になってからのことが多く、何ヶ月も準備期間があるわけではない。日本的感覚ではなじめないかもしれないが、それでも対応しなければチャンスは活かせない。その意味で本当は毎日が準備期間だ。
海外宣伝は、実戦こそが最善の学習であり、後継者育成の場だ。苑の将来の発展を願えば若者の育成は急務と思う。残念だが今回も私ひとりで、がんばることになりそうだ。
聖師さまご在世の時代、宣伝使は聖師さまの命に従ってすみやかに任務についたと聞く。だから、今も活動に躊躇はならない。物語の宣伝使を見習わねばと思う。
平成五年のローマ歌祭りから八年がたった。今年のミラノ、ローマの交流会への新たな「宣伝」の旅は私にとって通算六度目のイタリア訪問になる。七月はじめに代々木で開催の「霊界物語一泊研修」の残務に心を残して、七月十五日成田からアリタリア・ジャル共同便で日本を出発した。荷物は展示品に加え華道具、茶道具、八雲琴でいっぱいだ。
ウオーモ・ピアネータ・ウニベルソ(人・地球・宇宙)
フェステイバル形式の交流会
ミラノのマルペンサに出迎えてくださったのはアウレッラさんたちでたくさんの荷物の運搬も手助けしてくださる。そして九州の内山さんとご一緒にアウレッラさんの車で空港からまっすぐに会場のカッサーノ・ダ・アッダへ向かう。そしてアッダ川のほとりのホテル・ジュリアへ到着。
八尋雄二さんはじめ懐かしいスタッフのかたがた、インドのプラデイ―プさん、ウクライナのポポヴィッチさんやアイルランド、オーストラリア、モロッコ、カンボジアからのかたがたと懇親の夕食会が準備されており、到着早々ホテルで楽しい夕べを過ごさせていただいた。カンボジアからのサオデイ・ソック、ソフィエプさんとは二月のカンボジア訪問の思い出を語りあった。カンボジアのウードンで沖道センターの土地を提供しプロジェクトに協力されているベンタエさんのご家族もお元気だとのこと。
翌日ホテル・ジュリアから歩いて十分ほどのヴィラ・ボッロメオへ。
昨日、雄二さんから出来立てのパンフをいただいた。開会間際にできたパンフのデザインはローマのニコレッタさんのデザイン作品とのことで、なかなかステキなできばえで人材の豊富なイタリアがうらやましい。町には沖道イタリアのイベントの横断幕が掲げられている。そんな雰囲気の中で、出発前大急ぎで額装した写真類の梱包をとき、会場の設営にかかる。
こちらの希望にそって、愛善苑紹介の部屋はヴィラの礼拝堂を提供していただくことができ、たいへんありがたかった。落ち着いた雰囲気でこじんまりした部屋は、持参した展示物の量とバランスがとれていた。
展示に必要な道具や材料を準備することから、ペスカーラのフラヴィアさんが専属で手伝ってくださり、ローマの男性とともに一生懸命展示作業をしてくださった。おかげでミラノの初日、七月十六日の午後にはなんとか展示室の形になってきた。そこへ八尋さん、ペザロの松下さんやスタッフのかたが見にきてくださり、展示を喜んでくださってありがたかった。会期中ヤヒロさんとのミーテイングで、イタリアの状況をいろいろお聞きすることができた。そしてたがいにコミュニケーションができたと思う。
今回のテーマ「人・地球・宇宙」についてだが、人の生命の営みは地球、宇宙と一体であり、世界は一つといった視点でいかに生きるか、世界の人々といかに助け合うことができるか、と言う問いかけとしてのテーマだったと思う。結局は自分の生命に感謝し神を信じ、同じように他の命をも尊敬し愛善をつくすことができるのかどうか、自分に問うことでもある。
今年の二月末、イタリア沖道のヒューマンライフプロジェクトに参加して、カンボジアを訪問して以来、ステファノ、アルフレードさんらとは多忙にまぎれて充分なコミュニケーションをとれなかったにもかかわらず、雄二さんとともに愛善苑の紹介に関して助言や協力をくださったことは彼らの沖道的愛行であり。ご好意と友情に感謝。
生け花教室
華道の道具類はマリリーサさんやフラヴィアさんらがペザロやミラノから運ぶ手配をされたようで充分な準備であった。私は自前の花器などをいくらか持参した。七月十七日、花材の調達で町の花屋へ行ってみたらお休みで、しかたなく採集することになった。フラヴィアとともに広大なヴィラの庭園の中を物色して、たいそう茂った樹木などから採集させてもらって充分な準備ができた。ミニバラ、椿、夾竹桃、その他なかなか豊かな花材で楽しい教室となった。たった一人の私にお手伝い下さるスタッフがいること、生け花体験を楽しんでくださる参加者が来てくださり、日本文化を手がかりに心の交流ができたことを心から感謝している。初体験でも生け花に積極的にチャレンジする人が多く、私にとって手応えもあり、生け花を伝えながら、心や美意識の共感、共鳴を感じ交流を深めることができた。こんなにも豊かな体験をさせていただける幸せをしみじみと思う。
一方で生け花教室には必ず参加される常連ともいえる人たちも居られて、うれしそうに手伝ってくださることは私の大きな励みでもある。
茶席体験
華道は師範であっても、茶道はようやく茶通箱までの免状だから、教えるなどはとてもできない。お茶をさしあげるにはどうしたらいいのか、現場に即して臨機応変に手持ちの道具で工夫するしかない。美しいヴィラの客間といってよい空間でテーブルと椅子をそのまま使って、しかも日本的な茶道のもつ静かで和やかな、しかも品位を失わない主客の席を作ることに心がけた。
持参した抹茶、羊羹、柄杓、蓋置など、ミラノのアウレッラさんに預けてあった棗や茶碗,茶杓、茶漉しなどが大いに活躍した。日本の茶席には程遠いけれど体験者には好評であったし、雄二さんにも一服のお茶をさしあげることができた。多忙であったがミラノの茶席は三度させていただいた。私のわがままなお願いにもかかわらず、茶道具を預かってくださり、必要に応じて運搬してくださるアウレッラさんになんとお礼を言ったらいいのか。
つぎに八尋雄二さんからの事前の打ち合わせファックスを以下にご紹介する。
六月九日付ファックス
……パリ、ミラノ、ローマと移動していて一昨日の真夜中に帰宅したところです。イタリアの交流会に関しては失敗してもよいということで新企画していて準備が大幅に遅れてしまいました。ミラノ三日間、ローマ三日間で入場無料とし沖道の活動案内を三分の二にし、三分の一は他の活動の紹介空間を設けて自由に出入り可能とする。一部に関しては有料として経費をおさえて赤字を少なくする。
時間的にたいへんでしょうが、愛善苑の空間も考えており、新しい試みなので参加してもらいたいと思います。時間ぎりぎりですが連絡が届きますのでよろしく。京都の愛善苑とは長いこと連絡のやりとりがないので目崎さんにまかせます。山口さんどうしているだろう。八月一日イタリア発まで確認していますがその後の日程がまだ決まっていません。(来日のスケジュール問い合わせの返事)
六月三十日付ファックス
……ミラノもローマも会場決定。ミラノは二〇キロ郊外で資料が届きましたが、すばらしい別荘です。ローマはまだ資料は届いていませんが、コロッセオの横の国立芸術アカデミーでローマ市協賛です。すばらしいところらしいです。今回は各国の味覚や飲み物以外は入場無料です。宿泊も自由のフェステイバル形式です。
今子供キャンプ中で、零から十四歳までが七十七人、十五から十八歳四人、大人五十五人の大家族キャンプです。四から七歳は十キロ、それ以上は四十キロ歩いて、今晩は野宿です。
ミャンマーから子供五十人分の写真付きリストが届きました。聾学校の子供たち二十五人の計七十五人からとりあえず支援を始める計画です。私は今回ミャンマーに長期滞在したいので(といっても四,五日ほど余分に)カンボジアは訪問しないかもしれません。(ミャンマーへの教育支援活動に月光分苑として参加する計画が進行中である)
直光(八尋さんの次男)が十三歳でアルバイトを始めました。休み無しで一ヶ月八十万リラ。毎日五十ccのバイクで仕事に通っています。生きている今この一瞬に法悦の一片を感じるこのごろです。
……ファックス二ページ拝受。今回の交流会どのようになるのか未知数ですが一般入場者の空間、各活動の展示空間、バレーや音楽、武道などのデモンストレーションや指導空間、小人数での対話、アドバイス,指導などの空間がかなりの大きさのブロックで準備されます。私自身は会場を見ていませんがすごく立派で空間も特にローマは大きいらしいです。ということで私の感覚では八雲琴を弾く空間は物理的にも精神的にもじゅうぶんにあると思われます。私自身俗的なことはあまり好きでないし、一般参加という形にしたとはいえ、私や私たちの心は一種の色や香りを持っていますのでミソクソになることはないでしょう。神前楽器が大事なのではなく、生命が生きている心を通して、生きている体を用い楽器を弾く時、生きている技が生まれ、それが神への捧げものになるのだと思います。私は充分イベントに合うと(必要でもある)と思う。八尋雄二
八雲琴の演奏
八尋さんとのやりとりから、八雲琴の精神性や神前楽器としての性格をわかっていただき、なんとか道にかなうようにさせていただける、という安堵で持参した八雲琴であった。
ミラノの二日目、礼拝室にしつらえた愛善苑の部屋で聖師さまやお作品の写真、イタリアと愛善苑の交流記録のスナップ、出口和明先生ご夫妻の最近のスナップなどに囲まれ、聴衆はその中にすわり思い思いの姿勢で私のつたない演奏に聞き入ってくださった。
大理石の床に薄いカーペットを敷き、その上で弾かせていただけた。アシスタントとしての準備や通訳にローマのラウラ・マリネッリがついてくださった。
演奏後すぐに、モロッコのピクサさんらがそばにきて、ありがとうを連発する。そして音色がモロッコの民族楽器と似ているのだと言う。モロッコはサハラ砂漠を擁する厳しい自然環境にあり、生活もそれなりにきびしいが悲しみのとき、苦しい時、楽器を奏して人を慰め勇気づけ、心を通わせながら生きているのだと説明してくださった。八雲の音色がこころにしみたという。このように音楽が瞬時にさまざまな垣根を越えて心を解き放ち、あるいは共感させることは私にとっても大きな感動であり、まさに命、地球は一体であり「ウオーモ・ピアネータ・ウニベルソ」にふさわしいひとときをいただいた。
三日目にはコンフェランスルームでの単独演奏会となった。きっと最初の演奏がきっかけになったのだろう。当日の朝、その日のスケジュールが張り出される世界だ。スッタフのミーテイングで変更がたびたびである。お茶席や生け花教室もして、演奏会もして、という超ハードスケジュール、おまけに十二時間の日本からのフライト、時差のため疲れが出て歌の部分はあまり声がのびなかった。しかしコンフェランスルームでは松下さんがずっと通訳をしてくださり、八雲琴の性格や曲の意味などを充分に参加者へお伝えすることができた。
このように一つひとつが周囲のかたがたのお力添えでお役をつとめさせていただけたことを深く深く感謝したい。
ついでながらローマではまた違う交流に発展し、スタッフの希望で愛善苑の部屋を日本文化との出逢いの場と考え「瞑想・鎮魂」をテーマにして八雲琴を演奏するなかで、マリリーサが華道、フラビアが墨絵のそれぞれデモンストレーションをし、心の響きあいを表現した。
若者たちのエネルギー
ミラノでの最終日、コンフェランスルームではマジックや音楽演奏に加えフィナーレには歌手の(ロンドンで活動)フランシーヌ・ルーチェの指導で若者達の歌と集団ダンスが披露された。この日のためにかなりの練習をしたらしい。ヤヒロ・ミカ(八尋さんの三女)さんや松下さんのお子さんも出演してかなりの盛り上がりだったし、親たちも熱心に客席で見ている。しっかり、子供たちの出番が作られていることは毎回の交流会の特徴でもある。親子ともども沖道のイベントを楽しむことで次ぎの世代へのバトンタッチは充分可能であろう。私は疲れてしまって最後まで見ずにホテル・ジュリアへ帰ってはやばや?休養させていただいた。ごめんなさい。四日目はミラノからローマへの移動日である。それに備え体調を維持しなければならない。
九州沖道の内山妙子さん
九州の内山さんとは、なにかと連絡をとりあい、時には意見交換、情報交換をさせていただき、大いに勉強させていただいている。この度はミラノで落ち合うこととなった。イタリア沖道では交流会のあとも、サマーキャンプ、沖先生の御命日の追悼瞑想などが続く。そして休む間もなく九州沖道のサマーセミナーが八月はじめから大牟田を会場に開催予定で、海外からの参加者を迎えるべく内山さんたちはエネルギッシュに動いている。
ミラノでともにアウレッラさんの出迎えを受け、ローマでお別れするまでの八日間、内山さんと同行させていただいた。その間いろいろと助けてくださり、食事などもごいっしょで大変楽しく有意義な旅をさせていただくことができた。とりわけ、イタリアでの共通体験は貴重であった。
ミラノからローマへ
クラッシックなホテル・ジュリアの部屋で九州の内山さん、東京からの山田順子さんとともに小鳥の声と朝の光でめざめ、町で買っておいたナポリの桃と内山さんのお菓子、それにミネラルウォーターなどで軽く朝食をする。つやつやと赤味のあるナポリの桃を皮ごとほおばると味も香りもすばらしかった。
山田さんはジョンさんらと車でミラノへ出発。イタリアのスタッフは会場の後始末でおそらく徹夜に近いはず、運転はだいじょうぶだろうか?心配しながら見送る。
内山さんと私、ミラノに到着まもない池田さん、八尋さんご一家、ステファノさん、イーゴルさんのメンバーは列車での旅と決まった。
出発までのひととき内山さんと連れ立って孔雀やガチョウが遊ぶホテルの敷地をのどかに散歩する。鈴なりに熟れたプラムの林では、色づいた実がボタボタと落ちている。枝から実をつませていただいたが、木で熟した甘さは自然の恵みそのもの。落ちた実は放し飼いの鳥や家畜が食べるのだろうか?
ふたりでホテルの門を出る。ホテルの前を音立てて流れるアッダ川ともお別れだ。
一同、車でミラノへ、そして中央駅に近い高級和食レストラン「えんどう」で昼食をご馳走になる。昼食後センターへ寄り、中央駅でエウロスターを待つ。
中央駅ではこの日発車ホームがぎりぎりまで表示されない。理由は列車のセキュリテイ―チェックのため、とのことだった。折からジェノバサミットが開催され、反対デモによる死傷者が出たため列車の警戒も厳重らしい。
車内で、秋に予定しているミャンマーへの教育支援の予備資料を八尋さんからいただき目を通す。あとは車窓に過ぎゆくヒマワリ畑(黄色の花がじゅうたんのようだ)オリーブやブドウの畑、青空に浮かぶちぎれ雲などイタリアらしい風景を眺めながら時の経つのを忘れていた。途中駅のフィレンツェでは一昨年の美術館巡りの思い出を懐かしんだ。
ローマに近づくと車内放送で、列車の到着が遅れたため特急料金がどれほどか払い戻しになるのだという。ドロシーさんが「ヴェリーナイス」と笑顔を投げる。そう急がない我々には夕食代ほどの料金が戻ってきたほうがラッキー、という状況らしい。きちんと返金するという車内放送があるなど、イタリアの鉄道もフェアである。この車内放送のとき小さなざわめきがあったのは八尋さんの説明で納得できた。
ローマセンター
ローマセンターに到着し、会ったばかりなのに懐かしい人たちにつぎつぎ出会う。ルイーズ、クラウデイアチンツイア、ラウラなどミラノでもお世話になったみなさんだ。
案内されたところは以前道場だったところで、今は広々とした応接室に変わっていた。聞けば、いま近くの施設を借りてセンターの拡張工事が進行中で、畳敷きの道場はもとの応接室にもどったとのことだった。ラムニ通りから近い新施設は幼児教室、母親教室、ヨガ教室、などいろいろな部屋が作られているとのことであった。発展的な明るい話題だ。
ローマでの交流会の成功をめざして、以後三日間は合宿生活にシフトする。男性は主にローマセンターで、ナリニさんやナンダさんなどインドのグループは近くの会員宅で、私たちはロレーナやドロシーさんらとアルフレード宅で子供グループは別の会員宅で、それぞれ分宿し会場へ通うのだ。子供たちは仲良しと出会って遊べると、嬉しそうに車に乗って親から離れていく。
家庭的な交流
翌朝七月二〇日、カルピのファントッツイ・クララが子供たちをつれてアルフレード宅に合流、にぎやかで楽しい合宿になった。クララの次男ミケーレは今一歳で、かわいい盛りだ。子猫を追って手を引っかかれ、大泣きしていた。クララは子供三人に一歳の赤ん坊を車に乗せて、ミラノのやや南に位置するカルピから車を走らせ、ローマに参加したパワフルママさんだ。一昨年からのお付き合いで、クララは責任感の強い私の大好きなキャラクターだ、再会と合流を喜んで抱擁しあった。
ここでも主人の寝室、子供部屋は客に提供され、アルフレード夫人のデヴイさんは子供とリビングのソファベッドにやすんでいた。このように客をもてなすのがイタリア流らしい。朝食ごとにデヴイさん手作りのジャムやとっておきのチーズにフルーツ、パンを毎日ご馳走になった。アットホームで温かな、心地よいおもてなしをいただきバンビーノたちとも友だちになれてとても嬉しい。
アルフレード宅があるサンロレンツォ地区では、今年のサッカーで優勝したセリエの祝勝パレードの旗や飾り付けが残っていて、祝勝のお祭りさわぎを想像するのにじゅうぶんだった。
国立ダンス・芸術アカデミー
コロッセオやオレンジガーデン、ローマ大学などに近く位置するローマの高級住宅地にかこまれてアカデミーの施設がある。その施設をほとんど借りきっての交流会である。大会事務局、受け付け案内、指圧、マッサージ、足のトリートメント、武道、ヒューマンライフプロジェクトの活動展示会場、さらに食事会場、喫茶コーナー、などなど大勢のスタッフが活動しているが、ローマのイヴェントにミラノと同様、地方から大勢が協力参加している。
教室や集会室のある建物の入り口には人目をひく木の彫刻が置いてあり、あとで知ったのだが、それはコドニョットさんという著名な彫刻家の作品なのだそうだ。
施設のあちこちには芝生や植え込み、花壇があり広くゆとりがある。芝生にビーチパラソルとデッキチェアを出して、ナポリのフランチェスコさんらがフットマッサージのコーナーを開設したり、木陰では幼児教室で子供たちが遊びをしたり、指圧の部屋があったり、それぞれの分野に分かれて研修や交流を展開している。
とにかく賑やかでイタリア的な明るさ、開放感などが会場を包んでいる。そんななかで初日は会場設営、大量の昼食準備などでみんな忙しそう。野外ステージのまわりに堂々とそびえる松の木はそんな私たちをじっと見下ろしているようだ。
愛善苑の部屋
愛善苑の紹介コーナーはミラノと多少ちがった雰囲気になった。より良い出会いと交流のために、どのように工夫するか七月十九日の夕食時にアルフレードから提案があった。それはダンスのレッスン室を一部屋、愛善苑のためにあてて、展示も華道も茶席もさらに八雲琴もそこでできるようにする、それにあう会場作りをして、そこのテーマは「日本文化との出会い」ということにしてはどうか。というものだった。
実際、私にはローマの事情がわからないし、今回はローマ市の協賛を得て、一般市民の参加を呼びかけているのだから親しみやすさが歓迎されるのだろう。アルフレードの提案を受けることにした。レッスン室は野外ステージに面した明るい部屋でおまけに外側は全部ガラスばりだから、開放的で通り掛かりの人がいつでも見られる状態だ。
展示に入る前に部屋の掃除にかかり、床の雑巾がけに精を出した。聖師さまのお写真を出す前の準備だ。ローマではナポリのアナマリアさんとガブリエッラさんがアシスタントをしてくださり,掃除用具の調達、水汲み、掃除の手伝い、花材の調達など何かと手伝ってくださった。お二人は生け花に関心を持っておられ、私の華道教室の常連でもあり、なにかと様子をご存知で、作業も早い。
またいろいろプログラムがあり多忙であるにもかかわらず、抹茶の準備や花材の下ごしらえなど、内山さんの助けで都合よくできた。彼女の心からの友情がありがたかった。
特に展示作業については松下さんがはじめから「お手伝いしましょう」とおっしゃってはやばやと出向いて、主になって作業してくださり、ご好意のありがたさをしみじみ思ったことであった。
私一人でどうなるだろう、もし手を借りられなければ一人で脚立に乗ったり、道具の調達に走って宣伝活動としての展示をせねばならなかった。「ありがとうございました」とお礼を申し上げながら、八尋さんはじめ大勢のかたへの感謝はもちろん、聖師さまのお力添えのおかげを心に深く感謝しながら終始した。
日本からたった一人の愛善苑の人間に対し(松下さんはイタリアでの会員とのことだが)沖道のスタッフ大勢が好意をもって助けてくださって「愛善苑の部屋」ができあがったのだから、感動的体験だった。こういう状態を「天国」というのではないだろうか。
「ほのぼのと出て行けば心さみしく思うなよ。力になる人用意してあるぞよ」というフレーズが聞こえそうだが、はじめからそんな甘い考えや依頼心は禁物だ。出来るかぎりのベストを尽くそうとしていて、お力をいただく時こそ深い感謝が湧いてくる。
ローマのお茶席
お薄を点てているのも丸見え、いただく方も座り机でお菓子もお茶もいただく。このように特にきちんとしたお点前ではないのだが、静かに日本からの羊羹と抹茶を味わってくださることで会場に一種の鎮魂のような雰囲気が漂う。一回で約十五人から二十人ほどが入られたが、可能な限り接待させていただいた。聖師さまのお写真の下で、のべ八十名ほどのかたがお茶を楽しんでくださった。子供教室の責任者からの依頼で、小学生以上の子供たちに茶席体験をしてもらったのは将来へむけて良い交流だったと思う。
ナポリのジャコモさんとフラヴィアさんの息子は抹茶のお替りを所望し、質問をくれたり、終始正座でおわりには「またお茶席に来たい。お茶をやりたい」と日本人顔負けの真剣さだった。
こんなささやかなことでも日本の精神文化に共鳴してくれる沖道の人たちは貴重な友人だ。できればもっと人材豊富な愛善苑として交流したいものだ。お茶は表面だけの接待や、社交ではない。どうしたら客に喜んでいただけるか、おいしく味わっていただけるかという亭主の心の表現であり、客はそれを心して受ける。それが根本にあるから文化としての価値があり、主客互いに尊敬し感謝する心がなければ成り立たない世界だ。
止まれ、人間どうしが信頼関係をもってはじめて深い教えの交流が可能になるのだから、文化の意味と役割は重要である。文化の女神は富士浅間神社の祭神で名高く、物語中でも神格の高い「木の花姫命」であることはいうまでもない。聖師さまのご神格ともダブる。
ローマの生け花教室
ローマでは一つ失敗がある。花材はあらかじめいくらかが準備されていたのだが、参加者が多そうだったのと、種類をそろえる必要もあって植え込みなどから少しお花をいただいていたら、施設の関係者に注意されて閉口してしまった。こうならないためには事前に充分な連絡をとりあって、花屋で前日の営業中に買い整えておかねばならないと思う。このように一人であれもこれもという作業は、当然のことながら限界に突き当たってしまう。
ともあれ豊富な材料で、参加者とともに生け花を楽しむことができた。女性だけではなく、男性の参加者もあり、どちらかというと装飾的でボリュームのある西洋のアレンジに対し、生け花の簡素な美にも共感していただく事が出来たと思う。
また質問をされる男性が私に向かって「マエストロ」と呼びかけるのでちょっと面食らったが、イタリアでの体験が自分を叱咤し、今後研鑚を積んでいく励みの一つになると思う。
瞑想・鎮魂・響きあい
ミラノでの松下さんの通訳で八雲琴の性格を理解してくださった結果なのか、あるいは音色からのイメージなのか、フラヴィアさんとマリリーサさんが二人で熱心に私にもちかける。何かというと、私の八雲琴演奏を聞きながら、フラヴィアはその音楽や音色のイメージで墨絵を書き、マリリーサは生け花の生け込みをしたいというのだ。
最初私は尻込みし「何故?」と聞いてみた。二人が言うには「生け花も墨絵もヨガの・瞑想・と同質であり、心の表現だから、琴によって瞑想しながら作業する」とのこと。私は「瞑想も鎮魂も自分の内面が大事だから、もし観客がいるならば見せるショーになってしまい、とどのつまりはちょっと不純になるのではないか?」とやり返す。「いや、断じてショーではない。心の響きあいを参加者と共有するのだ」と二人。
とうとう私が押し切られて最終日の午後、愛善苑の部屋を会場に設定し三角形に陣取って、私は五十鈴川を弾き、フラヴィアは墨絵を描き、マリリーサは花を生け、それぞれが瞑想と鎮魂をしながらハーモニーを体験することになってしまった。人と人の出会いでは何が出てき、どのように発展あるいは脱線するかわからない。
はじめてのことで、私はただただ無心に心静かになることを心がけ、神を念じて弾く以外に方法はない。ひとときが過ぎて思いを実現して爽快だったらしい二人、調律だけはマアマアと安堵した一人が互いに感謝して出会いの時を終了させていただいたのであった。
ローマ、最終日の晩餐
アカデミーの隠れ家のような空間、そこは参加者がめったにこない敷地のはずれのようでレストハウスがひっそりと建っている。庭に大きな木が枝を広げ、その下には丸いテーブルがある。会場の後始末をしていると使いが来て、雄二さんがきてほしいとのことでレストハウスへと階段をおりていった。
雄二さん、コドニョットさんアルフレードさん、ステファノさんはじめ主だったスタッフが集まっており、ミーテイング中で私も加えていただき、八尋さんとは日本語でインド宣教のこと、カンボジアやミャンマーのことなど説明を受けたり、意見交換することができた。がしかしイタリアのスタッフは日本語が解らないから日本人同士の会話になってしまい、申しわけ無い。
八尋さんからコドニョットさんの紹介をいただく。彼と初めてであったときに作品を見て「なんだこんなもの誰でも作れる。芸術なんかじゃない」というような事を言ったら、ご本人がいたく立腹された。八尋さんが謝ると機嫌が直って?それ以来親しくなられたのだという。コドニョットさんといえばイタリア人はだれでも知っている有名人でローマ法王やマザーテレサとの面識もある芸術家だという。
私たちは何も知らないから、実は前日の夕食のテーブルが同じだったので彼が持参のワインが美味しいと誉めながらごちそうになったのだった。さらに美味しいといってお替りするものだから「明日は四本持って来よう」といってその場から酒屋に携帯で注文を入れていた人だったのだ。
彼は自前の作品や写真を載せたパンフを作り、沖道への協賛を表現していた。どこかで雄二さんとウマがあうのだろうか。日本びいきでもあるようだ。
やがてモロッコからのピクサさんとフィアンセ、インドのナリニさんとプラデイ―プも加わり、前イタリア首相の側近だった人物が家族を伴って来られるなど賑やかな晩餐になった。
ここでピクサさんとフィアンセのことを書かねばならない。ピクサさんはサハラのガイドで八尋さんによれば、昔の日本人のような心をもったすごく良い男なのだそうだ。だからサハラで彼の妻には日本人があう。一人くらいまだ大和なでしこはいるだろう。と言ったのだとか。そして今、彼の横にいるのは日本人のフィアンセだ。
「私は愛善苑の目崎といいます。華道をしています。あなたは女医さんとのことですがどちらにいらっしゃるのですか?」
「京都です」
「京都のどちらですか?」
「京都桂病院の産婦人科です」
「え、実は出口和明先生が昨年秋、桂病院で大動脈瘤の手術を受けました。主治医の先生はえーっと……」
「勝亦先生でしょう」
「そうです。ご存知でしたか。ローマでピクサさんのフィアンセとお会いして、それがよりによって桂病院に勤務されているとは驚きました。お名前を聞かせてください」
「タニワ ヒカルです」
「タニワさんですか。田庭は丹波の古名でもありなにか因縁を感じる瞬間ですね。」
こんなやりとりを聞いていた雄二さんが大笑いして
「日本にいて会えない同士がローマで出遭う。しかも十和田先生が同じ病院で手術されて生還された。彼女は将来モロッコに住んで、そこで頑張るんだから面白いというか、生きて活動してたらこんなもんだよね」と相好を崩している。
どこかで人脈ががっちりつながりを持つ。この出会いも、私が今後何も活動しなければ何の意味もないかもしれない。しかし今後の事は神様より他ご存知ないのだから、瞬間瞬間の出会いを大切に思いたい。
終わりに
イタリアでの交流会、実はまだまだインドのグループとのコミュニケーション、カンボジアの友人との交流、世界各国の料理メニュー、いつも付き添うようにお世話してくださった友人たち、ステファノさんの家族のこと、十和田先生へのイタリアからのメッセージなど書きたいことはたくさんあるけれど、時間も紙面にも限りがあり言葉を尽くせない。
本当は国内でももっとコミュニケーションや外への宣伝が必要だが、私に与えられている情況のなかで最大限の努力をさせていただくしか方法が無い。次回はできることならカンボジアやミャンマーの報告をさせていただきたいと思う。最後に推敲の足りない文章をお詫びし、筆を置きます。
二〇〇一年十一月十五日
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