平和への創造的非暴力
愛善苑 宣伝使 目崎真弓
2007年12月28日
於:第6回<平和と非暴力の行動・国際会議>
アヌヴィバの主催するこの会議のテーマ「平和と非暴力の行動」は人類にとってたいへん重要な意味をもっていると私は思っております。この会議に出席し平和について考えていらっしゃるみなさまとお会いできることを幸せに思います。
私は日本の神道の一つである「愛善苑」からまいりました。
私は今の世界の現状をたいへん残念に思っています。
技術革新によって、多くの人が地上や空を移動する時代になり、情報は瞬時に伝達可能な状況でありながら意思の疎通は難しく、しかも戦争はやまず、紛争地では子どもまでが兵士として武器を持つ状況です。グローバリゼーションによって貧富の差は拡大し、物価は高騰し、生活難に苦しむ人々が増大しています。それに加えて、地球環境の温暖化など人類はますます困難に陥っているからです。
このような状況と時代を、私の信ずる救世主・月の神「出口王仁三郎」はすでに1921年から予言し人類の救済のために教えを説いています。彼の行動は常に積極的な「非暴力」で貫かれていました。
当時の日本は「天皇」絶対の君主制で「天皇」は「神」として君臨していました。1800年代後半からは「天皇」の名によって戦争が行われるようになったのです。このような難しい時代にあって宗教者が政治にさからって「平和」を説き行動することがどんなに危険を伴うことか誰にも理解できると思います。
1921年(大正10年)2月から6月17日までの126日間王仁三郎は国家権力によって投獄されています。罪状は不敬罪と新聞紙法違反。しかしこの事件は捏造による弾圧でありました。そして法的根拠がきわめて薄いにもかかわらずみずからの費用で神殿を破却させられ、王仁三郎は126日間投獄されました。
大正10年(1921年)5月22日、英字新聞のThe Japan Chronicle が「政府と大本教」という社説を発表しているので、その内容を紹介しておきます。
「大本の唱導者らが・・・・・天皇の統治権を無視したと解釈されているが、これはすべての神政論に共通する、神職に重きを置く傾向があることを示している。この傾向はユダヤ教と同じくキリスト教の歴史においても明瞭であり、主権が神職のもとに置かれるのは当然である。大本が政治権力の忌憚に触れたのは「神諭」において日本上流社会を厳しく叱責したのによる。・・・・etc」(出口京太郎「巨人出口王仁三郎伝」より)
この事件を第一次大本事件と呼びます。
この事件のさなか、1921年10月18日、王仁三郎は神殿破壊の音を近くで聞きながら、「霊界物語」の口述を始めました。弾圧を受けながら、人々の霊性向上のために教典の口述編纂に着手したのです。彼は権力による暴力に屈することなく文化的手法によって新たな活動に入ったのです。
次に第二次大本事件。罪状は不敬罪と治安維持法違反。これは1935年12月8日に始まりました。第一審の判決は全員有罪。しかも自白の強要や捏造、拷問が行われた。第二審では裁判長が審理の結果、治安維持法違反については全員無罪と。不敬罪は1945年の敗戦によって無罪となったが事件勃発の1935年12月8日から2435日間、王仁三郎は未決のまま獄に収監される。未決出所は昭和17年(1942年)8月7日であった。この間、予審の審理中から聖地の施設は国家権力によってほとんど破壊されつくし、神殿である「月宮殿」は1500発以上ものダイナマイトによって破壊される。また土地も政府によって取り上げられ家族や役員をはじめ多くの信者が苦難の道を歩み、とらわれて拷問を受け獄死したものもありました。判決も出ないうちの権力の一方的な暴力、これは国家権力による不当な弾圧として日本の歴史に汚点を残しています。
第二次世界大戦が終わり、王仁三郎の教団も不死鳥のように再建が始まると、弾圧事件の補償を求める声があがりました。
「ある日、弁護士が集まって彼の家の一室で事件の賠償、刑事補償の請求について協議し始めた。それはおそらく想像もつかないほどの金額にのぼったことだろう。しかし王仁三郎がそのことを知って「そんなケチなことはしないほうがよい。敗戦後の政府に請求しても、それはみな国民の税から取ることになる。そんなことはできるものでない。今度の事件は神の摂理だと思っている」聖師の一言で大本は一切の賠償要求の権利を放棄した」
ここには自分の権利よりも人々を愛し優先する広い暖かい心があります。(野上龍「ある新興宗教の教祖」 ・『文芸春秋』1964年7月号より)
彼が権力による不当な弾圧に対して賠償要求の権利を放棄したことに加えて、彼が
「神は日本が連合国を相手に戦争をしているときに、戦争に協力できないように私を牢屋に入れたのだ。平和な時に平和を説き、戦争になったら戦争に手を貸すような人間は平和を説く資格が無い。だからこれは神の摂理だ」
と語っていることは重要な注目すべき点であります。
自分を苦難に陥れた相手を恨まず奉仕の道をあゆむこと、すべてを神の摂理として明るく生き抜き、人類に教えを残したこと。これらは非暴力の行動による平和への道しるべであります。非暴力とは創造的であり忍耐強く粘り強い、積極的な行動でもあります。
昭和20年12月30日王仁三郎は鳥取の吉岡温泉において朝日新聞の取材に応じ、
「・・・・・いま軍備はすっかりなくなったが、これには世界平和の先駆者としての尊い使命がふくまれている。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃されたときはじめて実現され、今その時代が近づきつつある」と述べています。
王仁三郎は教えの中で、世界を平和にし、人々を幸福に導くための方策を説明しています。それは「型のしかけ」です。彼は、みずからその仕掛けによって犠牲となり、方策を実行しました。これはアメリカ軍の爆撃による日本の破壊と、敗戦後の天皇の人間宣言へと連動していきます。王仁三郎は、人が神として君臨する天皇制の間違いと向き合い、屈することなく非暴力によって戦い抜きました。
「型のしかけ」について少し説明します。
これは、王仁三郎の教団組織のなかに平和な状況を実現した場合、それが日本に投影され、つぎに世界に投影されていくという思想です。
たとえば、新しい車を設計して売り出すとします。まず設計者はイメージやアイデアを設計図にし、つぎに小さなモデルを作ります。その上で問題なければ実際に試作し生産されることになります。
しかけは神ですが、作業は人間の役割です。「型の思想」は、神によるユートピアを投影したモデル作りと実践を必要とするものであり、そのモデルがあたかもポジティブフィルムのような作用をすると説明しています。
これは王仁三郎独自の思想です。非暴力こそがキーワードです。
暴力による問題解決では絶対に平和な世界を実現することはできません。暴力がさらなる暴力を誘発することはすでに現実が証明しています。
私はアヌヴィバの会議に敬意を表明するとともに平和と非暴力の行動の前進をこころから希望いたします。
注:Anuvibha(アヌヴィバ)
ジャイナ教テーラパンタ派の平和活動団体 代表 S.Lガンジー博士
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